生きることと死ぬこと、そして「いのち」について、じっくりと考えたことがあるだろうか。
自分や家族、そして大切な人たちがいつかは死んでしまうこと。受け入れたくない現実から無意識に目を逸らしてしまうのが人間という生き物で、それ故に目の前の「いのち」を考えるきっかけが訪れないと考えない生き物。それが僕だった。
今回インタビューしたのは、浄土真宗本願寺派のお坊さん・小岱海(しょうだい うみ)さん。多くの人たちの死に寄り添いながら、お寺という居場所でコミュニティづくりに励む彼女の活動や、いのちをテーマに話を聴かせていただいた。
※今回お伺いした内容は、浄土真宗本願寺派のお話を中心にまとめています。本内容が仏教の考え方すべてに通じるものではないことを、予めご了承ください。
お坊さんのお仕事(お勤め)とは?
小岱:お葬式や法事の際にお坊さんと接する機会が多いので、「お経を読む人」っていうイメージが強いと思います。簡単に言うと、仏様の教えを伝えていくことがお坊さんの役割なんですが、私はマルシェや謎解き脱出ゲームを使って、仏教を知ってもらおうという活動も行っています。
― ありがとうございます。
僕の家族は浄土真宗本願寺派のお寺にお世話になっているのですが、恥ずかしながら仏教についての知識がなく……仏教について、簡単に教えていただけませんか?
小岱:世界三大宗教のひとつ、というのは聴いたことがありますよね。
遡ること約2500年前、釈迦国(インド)の王子としてお生まれになったのがブッダ。仏様です。彼が人生の中で悩んだり、苦しんだりして、「その原因はなんだろう。」「どうしたら乗り越えられるんだろう。」と考え抜いて体得したのが仏教です。
「仏の教え」ではあるんですが、それと同時に「仏になるための教え」でもあるんです。実はこれ、知らなかったりするんですよね。(笑)
― とっても勉強になります。立て続けで恐縮ですが、宗派というものはどうして生まれたのでしょう?
小岱:それは、仏様が相手に合わせた教え方をしていたからなんです。それぞれ大切にされている軸が異なっていて、それが宗派になります。私はよく「お坊さんなのに、髪の毛がある!」って驚かれるんですけど、これも宗派に関係していることなんです。
禅宗、天台宗という宗派では、「修行をする中で煩悩をなくして悟りを得る」という教えがあります。私は、修行をされている方たちも尊敬しているのですが、「じゃあ、修行しないと仏になれないの?」って話になりますよね。
私たちのように一般生活を営む人たちの中で広がったのが、浄土宗や浄土真宗という宗派になります。簡単に言えば、「仏様の力によって、そのまま浄土に往生しますよ」という考え方。だから髪の毛もあるし、お肉も食べるし、結婚もする。
これらが、みなさんがイメージされているものとのギャップなのかな、という風に感じていますね。
― 勝手なイメージなのですが、「私はカトリックです」という人は割といるけど、「うちは浄土真宗なんです」という人はそんなにいない気がして。僕たちが、生活の中で意識すべきことなどもあるんでしょうか?
小岱:特に「何かをしなければいけない」というのはないんですが、お坊さんとお会いするご縁があったとき、話に耳を傾けていただくことが大切なのかなと。そのとき、何かを感じてもらえたら嬉しいなあと思います。
ちょーのくんにとっては、今日こうして私と話しているのがご縁かもしれないね。
お寺の役目について教えてください。
小岱:お寺は、お見合いの場所だったり、子どもたちが学ぶ場所(寺子屋)だったり、元々は地域のコミュニティだったんです。私がいま行っている活動も、自分の中では新しいことをやっているという感覚はなくて。これまでお寺がやってきたことを、いかに現代にマッチさせていくか。みたいなところなんです。
1982年に起こった長崎大水害のとき、うちのお寺がある東長崎地区は甚大な被害を受けました。当時は約30名の門徒さんが命を落としてしまったのですが、色んな方がお寺に避難されたという出来事があったんです。その後、長崎市の避難所としても登録されています。
「駆け込み寺」という言葉があるように、困ったときや逃げ出したくなったときに使ってもらえるような役割を担っていたはずなのに、いつの間にかすごく敷居が高くなっちゃってて。お寺って、いつ、誰が来てもいい場所なんです。
海さんは、なぜお坊さんになったんですか?
小岱:単純に言えば、お寺の子だから。
お寺は、私にとって最も身近な居場所でした。兄はお寺が嫌だって言ってたんですけど、私はコミュニティとしてのお寺がすごく好きだったんです。
先日、たまたま小学生の頃の文集を見つけたんですけど、2年生の頃には既に「お寺をしたい」って書いてたんです。周りの人たちに恵まれて、お寺が好きな私が育ってきたんだと思います。
― お坊さんになるまでの道のりを教えてください。
小岱:普通の高校を出て、京都の短大に進学しました。そこは浄土真宗本願寺派の宗門校だったんですが、お寺の子よりも一般家庭の学生さんの方が多かったんです。ここでも、特にお坊さんのお勉強をしたわけではありませんでした。
その後、そのまま京都にあるお坊さんの養成学校みたいなところに進学をして、それから本格的に勉強をしました。朝からお勤めをして、時間割のある授業を受けて、2年間通って僧籍を取らせていただいたんです。
― てっきり、もっと長い時間をかけて勉強をしないといけないものだと思っていました。更に現在では、お坊さん以外の活動もされていると伺いましたが、そちらは…?
小岱:中高生に向けたデートDVの予防教育を行っています。DVって、家庭内に限ったことではなくて、交際しているカップル間でも起こり得ることなんです。
中高大学と進学をしていく中で、パートナーとのお付き合いもあると思う。その中で、お互いが加害者や被害者にならないようにするにはどうしたらいいかな?という講話をさせていただいています。
他にも、犯罪被害者支援センターの支援員としてのお手伝いも行っています。主な活動内容は、性犯罪などの事件に巻き込まれた方や、事故や事件でご家族を亡くされた方の支援。裁判にするかしないか、マスコミ対応をどうするか、弁護士の先生に会いに行くのに同伴するか、などですね。
― お寺では、脱出ゲームやマルシェもやられているとか…?
小岱:友だちに、謎解き脱出ゲームが好きなお坊さんがいるんです。その子が、仏教やお寺になぞらえた内容のゲームを考案して、うちのお寺でやらせてもらうんです。(笑)
マルシェは、花祭りというお釈迦様の誕生日(4/8)に合わせて行っています。最初は私が色んなマルシェに出向いて、気になった出店者さんたちに声をかけるところからスタートしたんですが、今ではお手伝いしてくれる方がいるので、主催者であり出店者という立場で参加しています。お念珠づくり体験をやったりしていますよ。
小岱:最近では、長崎市内の高校生から社会人の若い世代を中心に活動している「ながさき若者会議」の中で、お寺をテーマにした居場所づくりの話も進んでいるんです。
― 若い世代が、「お寺」や「居場所」についての議論を進めているんですね。
小岱:お寺って土日は比較的忙しいんですけど、平日はそこまで混み合ってないので、空間として持て余しているんです。先ほどお伝えしたように、元々は誰が来てもいい場所なので。
お寺がある東長崎地区は、中高生がすごく多いんです。そういう子たちと話をしていると、「今日どこで勉強しようか?」って言葉をよく耳にするんです。図書館も広いわけじゃないし、ファミレスじゃ迷惑になっちゃう。「じゃあ、お寺を使ってくれたらいいじゃん!」って動いているところです。
ただ、こういった活動も地域のご門徒さんたちのご理解あってこそ。改めて、私がありがたい環境で活動をさせていただいているんだなと、日々感じています。
お経って、すごく長いですよね…?
小岱:長いのは40分くらい、何もなくても読めます。短いものだと、5分とか10分くらいのもあるんですよ!子どもの頃から読んでいたりもしたので、いつの間にか覚えちゃって。(笑)
仏教賛歌って、ご存知ですか?
― 初耳です!
小岱:キリスト教で言うと、讃美歌にあたるのかな……報謝の気持ちを表す歌とかもあります。最近は、お経にも節がついていたり、太鼓や雅楽が入ったりもするので、読んでいる私たちも楽しいんです。
― 木魚って、そのひとつなんでしょうか?
小岱:それが、うち、木魚ないんですよ。節折っていう拍子木みたいなものはあるんですけど、憧れるんですよね。私も叩きたいって。(笑)
あと、お坊さんは歌が上手いって言われることがあるんですが、それにも色々あって。お経は上手なのに、歌は音痴みたいなお坊さんもいるんですよ。逆もまた然りです。とは言いつつ、お坊さんは総じて歌が上手いので、私はあまり人前では歌わないんです。(笑)
巷で話題?の「お坊さんスナック」とは?
小岱:主に大村でやってるイベントです。マルシェや謎解き脱出ゲームにも言えることなんですが、お寺やお坊さんと接する機会って、そこそこ敷居が高いんです。
私としては、品格は保たないといけないけれど、敷居は下げるべきだと思っている。じゃあ、私たちお坊さんがお寺を飛び出せばいいんだって考えたんです。
「お坊さんバー」もあるんですけど、なんかそれってカッコいいじゃないですか。私たちはそんなにカッコよくない。気が済むまで飲んだくれて、最後に行き着く場所くらいがちょうどいいと思って、「スナック」にしたんです。(笑)
カレー坊主さんと不定期でやってるんですが、お酒は飲んでも飲まなくてもいい。お坊さんと話しても話さなくてもいい。ただそこに、お坊さんがいる。それだけの空間を提供しています。
― カレー坊主さんのカレーは食べられるんですか?
小岱:作ってきてくれることもありますよ!ぜひ、食べてみてほしいです。
死ぬことは、怖くありませんか?
小岱:私は、そんなに怖いとは思っていません。病気になって、いざ死ぬかもって状況になったら気持ちは変わるかもしれないけど。逆に、生きることの方がずっと辛いし、大変だと思います。生きることが、自分にとって身近だから。
― 最近、祖父母が癌を患いました。死を意識せざるを得ない状況で、僕自身がそれをしっかり受け入れられるのかなって。日々考えているところなんです。
小岱:私たちお坊さんは、人の死に直面することが多いです。都会は分からないけど、田舎のお寺って、お世話になった近所のおじいちゃんおばあちゃんが亡くなるってこともあるんですね。
お葬式も淡々とこなしているように見えるかもしれないけど、私はとってもつらい。式場に来たら先にお焼香を済ませるんですが、その際に親族と話している間は号泣なんです。それから控室に戻って、スイッチを切り替えています。
人の死は、お坊さんであろうとなかろうとつらい。それを抱えてみんな生きていかないといけない。でも、人の死に携わって、親族と苦しい時間を共にできることは本当にありがたい。私が「お坊さんになって良かったな」って思う理由のひとつです。
― お寺のコミュニティが好きだからお坊さんになった。だけどその反面、多くの方の死に携わらなければいけない。その中で、折れそうになったことはないのでしょうか?
小岱:お坊さんになって良かった、とは思っているけれど、お寺が好きだからずっと楽しくいないといけないなんてことはなくて。好きだからこそ辞めたいと思ったこともたくさんあります。
でも、それをどう乗り越えていけばいいか。どう考え、どう迷うか。「こう生きなければならない」じゃ苦しいから、自分自身がどう生きていくかという答えを探していくことが、生きていく上で大切なんじゃないかと思っています。
どれだけ医療が発達しても、自分が頑張っても、この世に生を受けた以上、私たちはいつか死ぬんです。それが受け入れられなかったら、きっとそのままでいい。なんかね、深いよね。(笑)
悩みながらも活動を続けられている、その源を教えてください。
小岱:私、みんなが笑っているのがすごく好きなんです。突然なんだけど、ちょーのくんの好きな食べ物ってなんですか?
― 近ごろは、福まん家の唐揚げに夢中です…!
小岱:それって、誰かに教えたいって思うでしょ?それと同じです。
私はお寺が好き、だからみんなに知ってほしい。それだけなんです。その中で苦しいことやつらいこともたくさんあるけど、結果として楽しいし、色んな人に出会える。それって、素敵なことだと思いませんか?
― 受け入れることができなければ、それでもいい。
そう言って陽気に笑う彼女のまわりには、素敵な笑顔が溢れていた。